ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小島聡子(1995.10)動詞の終止形による終止:中古仮名文学作品を資料として

小島聡子(1995.10)「動詞の終止形による終止:中古仮名文学作品を資料として」『築島裕博士古稀記念国語学論集』汲古書院

要点

  • 動詞の終止形で言い切られる文を整理する
  • そもそも、終止形終止の例は多くない
    • 文体的に、消息文(評論文的)な文には終止形終止が少なく、日記的(物語的)な文には終止形終止が多い
  • 用例の少なくない作品でも、語彙的・構文条件的な偏りがある
    • 1 存在動詞
    • 2 ミユ・キコユ・オボユ
    • 3 自然現象を表す文
    • 4 (発話・心内語をうける)オモフ・オボス・オボユ・イフ・ミル・キク
    • 5 移動動詞・授受動詞
    • 6 ス
    • 7 補助動詞・敬語
  • これらには普通の運動動詞と言い難い(1,2,5,6)ものが多い
    • が、なぜこれらに偏るのかはよく分からない*1

雑記

  • 昨日の続き、「勉強を寄せ集めてきた」みたいな感じで、突然謎の西洋コンプレックスが突然発揮されて、あと文体がきつい

*1:眼前描写に使いやすいってことなんだろうか?

土岐留美江(2005.10)平安和文会話文における連体形終止文

土岐留美江(2005.10)「平安和文会話文における連体形終止文」『日本語の研究』1(4)

要点

  • 中古における表現性のない連体形終止の例は、先駆的な例として位置づけられているが、合一が室町に完了することを考えれば「直接的な走りと見るのはやや短絡すぎる」
    • 終止形終止・係り結び・連体形終止の共時的分析を行い、連体形終止の表現性のメカニズムについても考えたい
  • 先行論の問題、
    • 余情・強調という直感的把握に留まること
    • 準体句出自的な特徴(ノ・ガを取る、後に続く)と、そこから説明できない特徴(補足説明としての後置、指定辞的用法)があるが、特に後者の説明が不十分
    • 「句的体言による終止法」という理解が、後述の諸特徴をどのように説明するのかについての考慮がない
  • 連体形終止文の特徴、以下3点
  • 1 動詞述語文では、終止形終止に存在詞が多いのに対し、連体形終止には一人称の感情・思考・知覚動詞が多く、「発話者にしか当該情報の決定権がない」(情報の「絶対的優位性」)ものに偏る
    • 動作・変化動詞の場合、連体形終止に恒常的な例はなく、具体性のある現在時の事柄や話者の評価・解説を述べる場合に多い
  • 2 形容詞述語文では属性的形容詞は見られず、情緒的形容詞に偏る、すなわち、終止形終止は状況叙述に、連体形終止は典型的な感情表出に現れやすい
  • 3 助動詞文では 感情・思考表出(ル・ラル・マホシ)、過去・完了、推量、否定、断定の順に多い
    • 感情表出に連体形率が高いのは動詞文・形容詞文と同様
    • 過去・完了も情緒面からの説明がある(山内2003)が、推量の助動詞に少ないことを考えれば、これも情報の優位性から説明可能
    • 否定に少ないのは「実質的に事柄が存在詞ない」ことにより、ナリに少ないのは、連体形終止の表現価値と極めて近いから
  • 以上より、「連体形終止は、発話者に当該の情報の絶対的優位性があることを示す」と帰結できる
    • 詠嘆・解説用法は、絶対的優位性が文脈上表面化した意味であると考えられる

雑記

  • 文とは何か、ざっと途中まで見たけど学生には勧められないなあ

木部暢子(2019.3)諸方言コーパスに見るモダリティ形式のバリエーション:推量表現の地域差

木部暢子(2019.3)「諸方言コーパスに見るモダリティ形式のバリエーション:推量表現の地域差」田窪行則・野田尚史(編)『データに基づく日本語のモダリティ研究』くろしお出版

要点

  • COJADSモニター版を使って諸方言の推量表現を整理する
  • 述語のタイプ(名詞・動詞・形容詞)、テンス分化を基準に分類すると、
    • 北海道~北関東にかけて、動詞述語のときベ系、名詞述語のときダ+ベ系
    • 南関東は述語タイプに拘らずダンベ系で、これは名詞述語ダンベが拡張したもの
    • 長野・山梨・静岡は名詞・動詞述語にズラ、動詞述語ではラもあり、過去形にツラ・ズが使われる
    • 岐阜県中津川ではすべてのタイプでラに画一化
    • 新潟・愛知・徳島ではすべてのタイプでダローに画一化
    • 北陸~関西はすべてのタイプでヤロに画一化
    • 山陽・四国・九州は名詞述語にジャロ・ヤロ、動詞述語にウ、動詞述語否定にマイ系、形容詞にカロ、すべての過去にタロと、使用形式が多い
    • 高知市は名詞・動詞にロ、過去にツロで、過去はタロへの変化が進行中である
  • 四国・九州は、多くの方言に見られる統一の傾向に反して多種多様である
    • これは古典語の形式を今も継承しているためで、機能的にも、ウ系が意志・推量の両方の意味を表す
    • 多くの方言では意志をウ、推量をダロウ系が担うが、必ずしもウ・ダロウで分担する必要性がないことに基づけば、
    • 東京などにおいては「推量表現をコピュラ由来の形式(ダロ・ヤロ)で画一化するという変化がまず起き」た結果、ウ・ダロウの分担が生じたと考えられる

雑記

  • za を打つとき思いっきり左手が出張して、人差し指 z と中指 a で打つ癖があります

高梨信乃(2019.11)〈宣言・アナウンス〉の意志表現:書き言葉における「しよう」を中心に

高梨信乃(2019.11)「〈宣言・アナウンス〉の意志表現:書き言葉における「しよう」を中心に」『日本語/日本語教育研究』10

要点

  • 「進行役がこれから行う行為を伝える意志表現」(宣言・アナウンス)があり、学習者が不自然な産出をすることがある
    • 銀の匙を例に、精読の実際について述べてみましょう。/*(作文で)それについてちょっと話しましょう。
    • シヨウは意志の表出・申し出・提案・勧誘の連続性を持つが、このことからは説明できない(そもそも書き言葉について考えられてこなかった)
    • 文章のジャンルによって用いられやすいかどうかが異なるのではないか?
  • 論説文の中の3ジャンルとして、研究論文・教養書・実用書を設定すると、
    • 宣言・アナウンスの全体例が、論文>教養書
    • 論文ではスルが多く、教養書・実用書ではシヨウが多い
  • 書き手単独に限定される行為(説明する)かそうでないか(考える・進める・~とする)という観点では、
    • 教養書・実用書では限定されない行為の方が多く、「書き手が読み手の関与を求める」程度が高い
    • 書き手と読み手との間の知識の格差を前提とする、いわば「先生」タイプの文章に、単独型のシヨウが顕著である
      • 学習者の読む文章には先生タイプのものも少なくないが、シタイが適切だと指導するのがよい

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p.112

雑記

  • リアフォPFUリミテッド買ったら元気になりました、高いキーボードを買え

高梨信乃(2017.11)「しようと思う/思っている」と「つもりだ」:書き言葉における使用実態から

高梨信乃(2017.11)「「しようと思う/思っている」と「つもりだ」:書き言葉における使用実態から」森山卓郎 ・三宅知宏(編)『語彙論的統語論の新展開』くろしお出版

要点

  • しようと思う/しようと思っている/つもりだ の3形式を、BCCWJにおける使用実態から比較する
  • 主節末では、疑問・モダリティがツモリに多く(~つもりらしい)、ヨウ系に少ない
    • ツモリダが「主語との意志をことさらに表示する性格」を持つことによる
    • ツモリの疑問文は非難・不満に偏り、これも「表示した意志への言及」であることが関与する
    • ツモリが文学に多いのも「意志のマーク機能」から説明可能で、
    • シヨウト思ウ系が知恵袋・ブログに出やすいのは逆に「話し手自身の意志を伝達する表現」としての性格が強いため
  • シヨウト思ウは動詞後続が可能(しようと思い始める)*1で、様態節・順接条件節に多い
    • 意志の付帯はスルツモリデでも表せるが、ヨウト思ッテの方が多い
  • ツモリダは時間節では見られない
    • 逆に、ヨウト思ウ系は意志の生起・持続を時間軸上に捉えることができる(*つもりのとき)

雑記

  • 頻度の出し方の説明が丁寧で、学部生に読ませたい

*1:「「思う」というル形の動詞を末尾にもつことによって可能になっている」はまあそりゃそうだろうけど、十分条件でしかなくて何かの説明にはなっていないだろう

近藤泰弘(1995)中古語の副助詞の階層性について:現代語と比較して

近藤泰弘(1995)「中古語の副助詞の階層性について:現代語と比較して」益岡隆志ほか編『日本語の主題と取り立て』くろしお出版

要点

  • 中古語の副助詞の体系全体の特徴を、語順を中心に記述する
    • ダニ・スラ・サヘ・ノミ・バカリ・マデ・ナド(・ヅツ)
  • 格助詞との承接は4タイプ
    • 格助詞+副助詞専用:ノミ・ダニ・サヘ
    • 格助詞+副助詞/副助詞+格助詞の両方:ナド
    • 副助詞+格助詞専用:マデ・バカリ
    • 承接しない:ヅツ(そもそもの語性が他のものと大きく異なる)
  • 形容詞連用形との承接がある
    • ノミ(つれなくのみもてなしたり)・ダニ・サヘ・ナド
    • 現代語ではハ・モ・シカに限られ、かつ述部も限定的なのに対し、古代語は「かなり多くの副助詞について自由な形容詞連用形接続が見られる」し、しかもこれは全て格助詞に後接するタイプ
  • 副助詞の相互承接も、格助詞とのパターンとかなり対応する
    • ノミ・ダニ・サヘは格助詞にも副助詞にも後接しかしない(バカリダニ・マデダニ・ナドダニ)
    • マデ・バカリは格助詞にも副助詞にも前接する(バカリダニ・マデダニ)
    • ナドは例外的にどちらもする(助詞トの接続に基づく)
  • 特殊なものとして、
    • 格助詞トだけは副助詞に前接する(トバカリ・トノミ/*バカリト)
    • マデは連体形を承けることがあり、バカリは連体形・終止形の2種類を承ける
  • 以上まとめ、副助詞は大きく以下の2グループに分かれる
    • バカリ・マデ:格助詞に必ず前接、形容詞連用形に後接せず、副助詞に前接
    • ノミ・ダニ・サヘ:格助詞に必ず後接、形容詞連用形に後接し、副助詞に後接
    • 名詞句とりたては前に、文とりたては後にというような階層性が、古代語(バカリ>ノミ)にも現代語(サエ>モ)にもある

要点

  • 新学期とともに復活したい

福島直恭(2020.3)後期江戸語の行為要求表現方式「ねえ」に関する一考察

福島直恭(2020.3)「後期江戸語の行為要求表現方式「ねえ」に関する一考察」『学習院女子大学紀要』22

要点

  • 江戸語で行為要求に使われるネエが、正面切って扱われたことはなかった
    • 機能と成立過程「にしか」関心がなかったのは問題である
  • 江戸洒落本・滑稽本人情本の調査、
    • ネエによる行為要求は、洒落本<滑稽本人情本の順で増え、
    • 使用者の性別の制限(洒落本ではすべて男性)もなくなる
  • 他の行為要求表現と比較すると、やはり人情本での使用が増えている(人情本ではそもそもの命令形の命令が減っている)
  • ネエを支えた要因、
    • ナサレとナサイ・ナセエの場合、二重母音VS長母音という対立の中でナサイ・ナセエが ai と eː の併存状態の一環として位置付けられたことが、ナサイが標準的になれた要因であると考えた(福島2016)が、
    • ネエの場合はその元となるはずのナイは文献に現れないので、ナがその対立相手であったと考える
      • 「いわば擬似的な連接母音形式と長母音形式の関係ともいえるものだったのではないか」(p.100)
  • ナとネエについて、
    • ネエとナは、話者によって相補的な分布を示すことがある
    • ナはナサイの省略であるが、ナサイはナセエとの「文体的対立関係を維持する方が重要であった」し、
    • ネエは文体的対立を示すはずのナイの使用が広がっていなかったので、ナ・ネエのどちらも不安定な非標準形式であると言え、
    • この2つが擬似的なペアを形成することでそれぞれの存在意義を得て、ポジション維持することができたのではないか*1
  • その後、
    • ナは現代語にも残るが、ネエは残らない(ただし、ナの使用者層は異なる)
    • なお、ネエの記述は「権威のある言語体系にかかわる言語事象に直接関与する要素とは考えにくい」ために軽視されているものと思われるが、そのバイアスは取り除かれるべきである*2

雑記

  • 言いたいことが先行しないようにするためには、言いたいことを一旦なくすのがいいのかな
  • 買った本普通に読み進めてるんですが、打ち込んでいくのがめんどくさいので yomu にするのはやめました…
  • しばらく休んでます kaku方が手一杯で

*1:必ずしも組として排他的なペアを構成しなくても良いのでは?ある語が体系Aと体系Bに跨っていたとして、困ることがあるんだろうか

*2:日本語史研究がその「中央語の視座」側からしか行われるという傾向にあるとして、「ネエの研究がなかったこと」は必ずしも日本語史研究全体が中央語の視座からしか行われてこなかったことの根拠にはならないだろう。そこだけ取り立てて「これまでの研究は」と言われても、果たしてそうなんかな…と思ってしまう。というのと、あと、福島2016あたりから増訂江戸言葉を湯澤1991としているのは直したほうがよいのではないか、1991まで生きてたらよかったのに。