ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

菅のの香(2023.3)和漢混淆文における複合辞「ニオイテハ」の構文

菅のの香(2023.3)「和漢混淆文における複合辞「ニオイテハ」の構文」『上智大学国文学論集』56.

要点

  • 和漢混淆文に見られるニオイテハを複合辞として認定し、以下の2点を主に検討したい。
    • ムが多く前接し、仮定条件を表すとされること。
    • 限定・強調の意を表すとされること。
  • 1点目について、
    • 主文の述部が命令形やベシ・ムなどを伴うことが注目される。条件提示のニオイテハは、「述部に話者の意見表明を喚起する」働きを持つ。
      • 然リトテ射宛候ハムニ於テハ、有ルベキ事ニモ候ハズ。(今昔25-6)
  • 2点目について、
    • 「強調」のニオイテハはすべて体言を上接し、特定の人物を指す例に偏る。
    • この機能は「於」の比較強調用法に由来するものと考えられる。
      • 彼ノ右大将ハ~。[一方で]我レニ於テハ、年モ老タリ、~。(今昔20-43)
    • この場合、Nニオイテハの状態が述べられるため、述語は形状性用言になる。

雑記

  • 論文投稿の後遺症で4月を迎えられていない

井上優・黄麗華(1996.3)日本語と中国語の真偽疑問文

井上優・黄麗華(1996.3)「日本語と中国語の真偽疑問文」『国語学』184.

要点

  • 日本語のPカ、中国語のP嗎による真偽疑問文の対照を行う。
  • 以下の点は2者に共通する。
    1. どちらも、基本的には「文脈と対立しない仮説の真偽」を問題にする文である。
      • p.17
      • 6-1は「緊張している」ことが想定可能、6-3は不可能。
    2. これに対して、否定辞がつくとどちらも、「文脈と対立する仮説をわりこませてその真偽を問題にする「誘導型真偽疑問文」」として機能し得る。
      • (上の文脈で)「本当は緊張してない?」
  • 以下の点は相違する。
    • 日本語の場合、Pナイカが対立仮説のわりこみのための手段としてかなり広く使える。
    • 中国語の場合「不P嗎」が「わりこみ」に使える文脈はかなり限られ、
      • 例えば、例6の文脈では「不~嗎」「pでない」ことの真偽を問う疑問文(本当は緊張してるのではないか?)にしかならない。
    • 肯定+否定形による正反疑問文がある程度その手段となる。

雑記

  • 大量にもらったダイエットチップスが薄味で、マヨつけて食べたくなる

相原まり子(2011)中国語の韻律的手段による「文焦点」標示

相原まり子(2011)「中国語の韻律的手段による「文焦点」標示」『言語研究』139.

要点

  • Lambrecht 2000 の、以下の「脱主題化の原則」の仮説を用い、中国語の文焦点(SF)標示について、音響的な面から考える。
    • 脱主題化の原則:SF標示は、PF構文の主題を担う主語がもつ韻律的特徴と形態統語的特徴の両方、あるいはどちらかの取り消しを伴う。
    • Lambrecht は中国語の、VS構文や「有」構文をSF構文と見なすが、

      • p.122
    • 主語の指示対象が聞き手にとって同定可能な場合はSV語順を取るため、そういった形態統語的手段を用いたSF標示はできない。

      • p.122
  • PF文とSF文で、以下のパラメータを比較する。
    • 持続時間:
      • SF文の方がPF文よりも主語の持続時間の割合が大きい。すなわち、SF文の主語はPF文の主語とくらべて、文全体に対して長く発音される。
    • 基本周波数(F₀)の変化幅:
      • 主語の変化幅はSFの方が大きく、述語の変化幅はSFの方が小さい傾向がある。
  • 「主語を韻律的に際立たせることでSFを標示する」のは英語も同様であるが、英語がピッチアクセントを置くのに対して、中国語はピッチよりも長さが重要な役割を果たしている可能性がある。声調があるために、英語よりも情報構造の違いをピッチに反映させにくいのではないか?

雑記

  • 実はブログを自動で生成してる

坂井裕子(1992)中古漢語の是非疑問文

坂井裕子(1992)「中古漢語の是非疑問文」『中国語学』239.

要点

  • 中古漢語(後漢末~魏晋南北朝)の是非(以下、YN)疑問文の特徴を記述する。
    • 上古漢語の乎・与・也・邪などの語気詞はWh疑問文にも用いられる(YN専用ではない)が、
    • 中古の不・否・未などはYN疑問文専用であり、
    • 唐代の無が磨・摩などを経て、現代の吗に至るとされる。
  • 中古において、句末についてYN疑問文を作る否定詞は、
    • 未:「まだ~していない」が句末で「すでに~したのか」という疑問文を作る。
    • 非:是を述語とする句の末尾に用いられる。 君是賊非?
    • 否:上古には「否乎」が見られ、中古には否単独で疑問文を作るようになる。
    • 不:用例数・用法ともに最も豊富。
      • 「有~不」(「有~無」はない)「無~不」「是~不」や、「曾~不」(≒未)などの句にも付くことができる。
      • 意味・機能において「否」とは差がない。押韻の状況から、本来は語音の違いを反映したが、音変化によって差がなくなったものか。
      • 句末の「不」は否定副詞の「不」とは語音が異なるので、語彙としても異なり、前代の乎などに替わって新たに登場した語気詞であると見る。
    • 与不・与否など、不に比べて幾分形式的な語気を持っていたと考えられる形式がある。
  • 特に句末に不などを用いるYN疑問文の特徴について、
    • 句末の否定詞は、前代ではWh疑問文に付くが、中古では平叙文に付く。
    • 反語の例、選択疑問文を作る例がある。
    • 不審・不知などを句頭に冠し、「相手の意向を打診する」例がある。*1 不知兄盡有不?(兄上はすっかり持っておられるでしょうか?)
      • これは、自問自答にも用いられる。
    • 「「不」を持つ句が賓語になっている」例がある。(吗はこうした性質を持たない)
      • 不知便可登峰造極不。 すぐに高みに登り究極に達することができるかどうかは分からないが、*2

雑記

  • ありがたい

dl.ndl.go.jp

dl.ndl.go.jp

*1:おもれ~

*2:牛島1971にも記述あり https://dl.ndl.go.jp/pid/2526118/1/181

西山猛(2005.12)古代漢語における場所を表す疑問代名詞の歴史的変遷

西山猛(2005.12)「古代漢語における場所を表す疑問代名詞の歴史的変遷」『中国文学論集』34.

要点

  • 疑問代名詞のうち、場所を表すものにどのようなものがあるか、資料論的検討を含めて行う。
    • 甲骨文・金文・『書経』は「太古漢語」として古代漢語の枠組みから除き、さらに、出土資料と漢訳仏典を除いた上で、春秋戦国期以降の『論語』をはじめとする文献を古代漢語の資料とする。
  • 上古漢語(春秋戦国期、『論語』 『孟子』『荀子』『韓非子』『春秋左氏傳』『國語』を資料とする)には、
    • 「焉」「奚」「惡」 の例があるが、例えば「焉」自体が場所を表すわけではないように、場所専用の疑問形式はなく、
    • 「何」字が特に後代でも広く使用されるようになる。
  • 漢代では、例えば戦国期の『佐伝』、劉向『説苑』 などに、「何之」が見られる。
    • 史記』は時代の取り扱いが問題となるが、そのうち、司馬遷と時代の近い部分(『史記』秦漢部分)は、語学的にも前漢に近いものとして取り扱えるのではないか。
      • 「何之」などの「何」の前置に、「何所」も新たに見られる。
    • 後漢においても『漢書』には「何所」がないが、王充『論衡』 にはそれが見られる。
  • 魏晋南北朝でも「何處」という新たな形式が見られ、
  • 初唐の『遊仙窟』までは積極的に用いられていたようである。
  • 近代漢文においては敦煌漢文において別の「何所在」「甚処」「那裏」などの形式が現れ、その後、「那裡」に収束していったと考えられる。

雑記

  • 何を引けば何が言えるのかを学びたい

三村一貴(2020.10)上古漢語のモダリティーマーカー「蓋」について:その本質的機能

三村一貴(2020.10)「上古漢語のモダリティーマーカー「蓋」について:その本質的機能」『中国語学』267.

要点

  • 上古漢語の「蓋」の機能について考える。
    • 太史公曰、「余登箕山、其上有許由冢。」(『史記』伯夷列伝2581)
    • 「太史公曰く、わたしは箕山に登った。山上には許由の塚があるということであった。」
      • と解する場合、「蓋」(けだし)の解釈が判然としない。
  • 「蓋」について、以下の仮説を提出する。
    • 本質的機能:「「蓋」は、モダリティーマーカーであり、発話時に先行する事柄について、真偽判定を行わずに陳述する心的態度を表す」
    • 派生的機能:「蓋」はポライトネスを表示する機能を語用論的に生ずることがある。
  • この枠組により、「蓋」の以下の例が統一的に説明できる。
    • 真偽判定の保留
    • 発話時との前後関係:発話時に先行し、その過去志向性が論理関係に及ぶと、遡及推論が行われることもある
    • 伝聞表現の共起:非断定の心的態度を取るために、「聞」「云」などの伝聞表現と共起しやすい
    • ポライトネス:「どっちつかず」から派生して、控えめな語気(~かもしれないし、~ないかもしれない)を持つ*1
  • 「蓋」を確信度の高いものとする説があるが、確信度の高低や、情報取得経路も文脈に依存するため、従い難く、むしろ、確信度に言及しないことが本領であると考えられる。

雑記

  • こっそり再開できるかもしれないし、できないかもしれない

*1:山岡政紀(2016)「カモシレナイ」における可能性判断と対人配慮 っぽい

「ぬるま湯」の「ま」考

はじめに

言語学フェス2023」に参加しました。運営のみなさま、ありがとうございました。

sites.google.com

主催のまつーらさんの「ぬるま湯でありたい」*1、「この、ぬるまの「ま」って何?」という発言を承けて、少し考えてみました。 「ぬる」が形容詞「ぬるい」の語幹であることを前提とした上で、この「ま」がどこから来たものなのか、考えられる3つの可能性を示します。

可能性① 接尾辞「ま」由来説

「くつま」「ふつま」「まほらま」「かえらま」「こりずま」「あわずま」などに見られる「ま」のように、「その状態である」という意味の名詞を作る接尾辞「ま」があり、これが「ぬるし」の語幹「ぬる」について「ぬるい状態」を表すようになったと考える。

  • ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずにして今そ悔しき(万葉集・15-3769)

  • こりずにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば(古今和歌集・恋歌3・631)

おそらく、日本語史研究者の多くが真っ先に浮かぶのがこれ。しかし、形容詞「ぬるし」は上代から見られるものの、「ぬるま」の成立は遅く、近世に入ってからのよう。

ぬるま 【温・微温】 〔名〕

(1) ぬるいこと。びおん。

*真景累ケ淵〔1869頃〕〈三遊亭円朝〉二五「先刻(さっき)一燻(くべ)したばかりだから、微温(ヌルマ)になって居るが、この番茶を替りに」

(2) 「ぬるまゆ(微温湯)」の略。

*雑俳・川柳評万句合‐明和六〔1769〕松三「喰たならぬるまがあるとひゃう母いい」

(3) のろま。愚鈍。鈍物。

浄瑠璃・大塔宮曦鎧〔1723〕三「気の長ゐぬるまの頭(かみ)」

浄瑠璃・平仮名盛衰記〔1739〕二「佐々木は聞ゆる剛(がう)の者。兄貴はしれたぬるま殿」

*随筆・操曲入門口伝之巻〔1790〕「人の鈍き者をいやしめて野呂松野呂松と異名を付、痴漢に競べていやしめり。野呂松を後にはぬるまといひ誤り」

(4) 泥をいう。

*談義本・虚実馬鹿語〔1771〕五・泥坊殿「泥の事をぬるまといひ」

小学館日本国語大辞典第2版』、JapanKnowledgeによる)

一方、接尾辞「ま」が生産的であったのは上代が中心で、下限まで探しても今昔物語集(12C初成立)に「ひとりまに」がある程度。

  • 此レニ依テ然様ナラム所ニハ、独リマニハ立入マジキ事也、トナム語リ伝ヘタルトヤ。*2
    (これこれこういうわけで、そういうようなところには、ひとりきりで立ち入ってはならないものだ)(今昔・巻27・第15)

近世にはすっかり生産性を失ってしまっているとすると、突然これが見出されて「ぬるま」が生まれたとは考えにくいので、この接尾辞「ま」説は採り難い。*3

可能性② 自動詞「ぬるむ」「ぬるまる」由来説

次に、「ぬるま」という配列を含む語がないか?という観点から、「ぬるい状態になる」意の自動詞「ぬるむ」「ぬるまる」との関係性を考える。

自動詞「ぬるむ」は平安時代から例があるが、これで「ぬるい状態の湯」の意の語を作ろうとすると、通常、連用修飾して「ぬるみ湯」になるはずである*4

  • あわれ ぬるみが御ざりましよば一くちぎよいにかけられて下さりましよば かたじけなう御ざりましよ
    (「ぬるみ」があったら一口いただけたら忝ない、の意)(好色伝授[1693]35ウ2)
  • 「これ玉笹、温湯(ぬるみ)があらば持つておぢや」(安政5・佐野経世誉免状・前田勇『江戸語の辞典』「ぬるみ」項)

次に自動詞「ぬるまる」について。まず、自動詞「ぬるむ」(ぬるい状態になる)に対して派生した他動詞「ぬるめる」(ぬるい状態にする)があり(開く:開ける、立つ:立てる、育つ:育てる…)、この他動詞「ぬるめる」が再度自動詞化したのが、「ぬるまる」だろう*5

西尾(1954:111)

ただ、自動詞「ぬるまる」を用いて「ぬるい状態の湯」の意の語を作ろうとすると、やっぱり「ぬるまり湯」という形になってしまって「ぬるま湯」にはなれない。逆に「~まる」型の動詞が(語幹のまま)「~ま」の形で名詞を修飾することもできない。例えば「あたたま布団」とか「ゆるまズボン」とか、結構かわいいけど言えない。

ここで再度『日国』に頼ると、「ぬるめる」は17Cに例があるが、「ぬるまる」は20Cまで待たないと現れず、18Cから例のある「ぬるま」の素材にはそもそもなり得ないことが分かる。

  • 春一「若水を少ぬるめてかくるにや」(俳諧・六百番誹諧発句合)
  • 「食堂から流れてくる空気はぬるまっていて」(丸山健二『明日への楽園』1969)

ちなみに、国会図書館デジタルコレクションの全文検索ではもう70年(!)、初例を遡ることができる。が、やはり(他の資料を見ても)近世までは遡れない。

ということで、「ぬるまった(湯)」→「ぬるま(湯)」説は、形態的に無理があり、さらに「ぬるまる」由来であると想定する場合は、素材の「ぬるまる」自体が「ぬるま」の成立時期には見られないので、採れない。

可能性③ 「のろま」類推説

上の『日国』の「ぬるま」項では、現代語と同じ「微温」の意の「ぬるま」が語義の(1)に立てられているが、こちらは初例が19Cと遅い。一方、「のろま」と同義とされる「愚鈍」の意の(3)は、18世紀前半と相対的に早いようである。

このことに注目して、まず、「のろま」の方が先にあって、既存の形容詞「のろい」「ぬるい」の力を借りる形で「ぬるま」(語義3、この段階では「愚鈍」と同義)*6が生まれ、その後、「ぬるい」の意味を継ぐ形で語義1,2(微温)を獲得した、と考えられないだろうか?

  • のろ(い):のろま → ぬる(い):[   ]

では、この「のろま」が何なのかというと、寛文~延宝(1661-81)ごろの人形遣い、和泉太夫座の野呂松勘兵衛が使い始めた、滑稽・愚鈍なキャラクターを演じる「のろま人形」に由来するようである。少し遅いが、以下の浮世床の例が分かりやすい。

  • (騙されて、顔が青くなっているかと思ったと言われ、)
    熊「そりやアねへ。青くなりやアのろま人形で落(おち)をとらア。ヲツトのろまは口から高野ツ。
    (そんなことはない、青くなったら(顔が青い)のろま人形に似ているということで落ちを取るわ、おっと、のろまは「口から(口が災いで)高野(出家することになる)」)(浮世床・初編巻上[1813刊])
  • のろま 江戸和泉太夫芝居に野良松勘兵衛といふもの頭ひらく色靑黒きいやしげなる人形をつかふ これをのろま人形と云 野良松の略語なり 又鎌齋左兵衛はかしこき人形をつかひ相共に賢愚の体を狂言せしなり それより鈍きものをのろまといへり増補俚言集覧・下

「のろま人形」から「のろま」て……んなわけあるかい!と思うかもしれないが、固有の人物や役職などの名前が、それに典型的な動作・様態一般へと抽象化する事例は結構ある。シャルドネテキーラ、ホチキスのようにそのままモノ一般を指すケースが多いが、ボイコット、リンチ、ジョンブル、熊公八公、イナバウアー太鼓持ち、鞄持ち、金魚の糞(これは役職ではないか)など、動作・様態に近いものもある。

このようにして「のろま人形」→「のろま」→「ぬるま」という流れを考えると、「ぬる」「のろ」に限って「ぬるま」「のろま」がある理由が説明しやすいと思う。

この説を採るときの問題は、

  • 「ぬるま湯」が18C初に既に見られること(下例a)
  • 「愚鈍」の意の「ぬるま」の文献上の初出はそれより少し遅いこと(b)
  • 「人形」の脱落した「のろま」は早いが(c)、愚鈍を表す確例の初出はそれより少し遅いこと(d)*7
  1. 狂歌・大団〔1703〕一「風もいるるあつさわすれてぬるま湯をかかる湯殿のくれぞすずしき」(『日本国語大辞典』第2版、「ぬるまゆ」の項)
  2. 浄瑠璃・大塔宮曦鎧〔1723〕三「気の長ゐぬるまの頭(かみ)」(同、「ぬるま」(3))
  3. 雑俳・あかゑぼし〔1702〕「時々はのろま芝居の益気湯」(同、「のろま」(1))
  4. 随筆・本朝世事談綺〔1733〕三・態芸門「鈍(にぶき)をいやしめてのろまといひ、癡漢(あはう)に比したり」(同、「のろま」(2))

要するに、文献上では「ぬるま湯」の出現が早いのが困ったところ。ただし、野呂松勘兵衛の活躍期は17C末なのだから、「文献には見出されないが、使われてはいた」(もしくは、もっと探せば出てくる)という可能性を考えれば、この数十年の差は無視してもよいかもしれない。

①②と比べれば大きな時代的な断絶がないこと、形態的に無理のない説明になること、「ぬる」だけに「ま」がつく理由を説明できることなどの利点があるので、私はこの説を推したい。

ちなみに、「とんま」は「のろま」が「鈍い(のろい)」から類推して「鈍間」の表記を獲得した後に、これを音読みしたものだろう。

  • 五兵衛さんの足袋五先生サ。あんな鈍間[とんま]はねへ(七偏人・4編下)*8

まとめ

いかがでしたか?

*1:研究も余技が一番楽しいのでとても共感できました。来年は何か出そ…。

*2:新全集注は「この「マ」を「コリズマ」の「マ」と同じものとする説もあるが、他に類例を見ない。」(今昔[4] p.58)とする。

*3:万が一これが起こったとして、多分「ぬるまに」になるのではないか。

*4:四段動詞の未然形を被覆形と連続的に考えるならば、「-a + 名詞」自体はあり得るが、これもやっぱり大昔の話なので、時代が合わない。

*5:西尾(1954)など参照。

*6:類推パワーが強いのか、単に母音交替形として(母音交替した結果、「ぬる(い)」と同形態になったものと)見てよいのか、知識不足でわからない。後期上方語だと、同化によらない u > o は こそぐる(くすぐる)、おのし(おぬし)、おとましい(うとましい)、いのころ(いのころ)があるのに対し、 o > u は あすび(あそび)くらいしか報告がなく(村上2011)、ぬるパワーの影響を考えたくなる。

*7:手元でもいろいろ探してみたが、残念ながら日国を遡る例はなかった。

*8:早稲田大学図書館古典籍総合データベース、ヘ13_03121, 4編のコマ40左2-3行目(URL