はじめに
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主催のまつーらさんの「ぬるま湯でありたい」*1 、「この、ぬるまの「ま」って何?」という発言を承けて、少し考えてみました。
「ぬる」が形容詞「ぬるい」の語幹であることを前提とした上で、この「ま」がどこから来たものなのか、考えられる3つの可能性を示します。
可能性① 接尾辞「ま」由来説
「くつま」「ふつま」「まほらま」「かえらま」「こりずま」「あわずま」などに見られる「ま」のように、「その状態である」という意味の名詞を作る接尾辞「ま」があり、これが「ぬるし」の語幹「ぬる」について「ぬるい状態」を表すようになったと考える。
おそらく、日本語史研究者の多くが真っ先に浮かぶのがこれ。しかし、形容詞「ぬるし」は上代 から見られるものの、「ぬるま」の成立は遅く、近世に入ってからのよう。
ぬるま 【温・微温】
〔名〕
(1) ぬるいこと。びおん。
*真景累ケ淵〔1869頃〕〈三遊亭円朝 〉二五「先刻(さっき)一燻(くべ)したばかりだから、微温(ヌルマ)になって居るが、この番茶を替りに」
(2) 「ぬるまゆ(微温湯)」の略。
*雑俳・川柳評万句合‐明和六〔1769〕松三「喰たならぬるまがあるとひゃう母いい」
(3) のろま。愚鈍。鈍物。
*浄瑠璃 ・大塔宮曦鎧〔1723〕三「気の長ゐぬるまの頭(かみ)」
*浄瑠璃 ・平仮名盛衰記〔1739〕二「佐々木は聞ゆる剛(がう)の者。兄貴はしれたぬるま殿」
*随筆・操曲入門口伝之巻〔1790〕「人の鈍き者をいやしめて野呂松野呂松と異名を付、痴漢に競べていやしめり。野呂松を後にはぬるまといひ誤り」
(4) 泥をいう。
*談義本・虚実馬鹿語〔1771〕五・泥坊殿「泥の事をぬるまといひ」
(小学館 『日本国語大辞典 第2版』、JapanKnowledgeによる)
一方、接尾辞「ま」が生産的であったのは上代 が中心で、下限まで探しても今昔物語集 (12C初成立)に「ひとりまに」がある程度。
此レニ依テ然様ナラム所ニハ、独リマニ ハ立入マジキ事也、トナム語リ伝ヘタルトヤ。*2
(これこれこういうわけで、そういうようなところには、ひとりきりで立ち入ってはならないものだ)(今昔・巻27・第15)
近世にはすっかり生産性を失ってしまっているとすると、突然これが見出されて「ぬるま」が生まれたとは考えにくいので、この接尾辞「ま」説は採り難い。*3
可能性② 自動詞「ぬるむ」「ぬるまる」由来説
次に、「ぬるま」という配列を含む語がないか?という観点から、「ぬるい状態になる」意の自動詞「ぬるむ」「ぬるまる」との関係性を考える。
自動詞「ぬるむ」は平安時代 から例があるが、これで「ぬるい状態の湯」の意の語を作ろうとすると、通常、連用修飾して「ぬるみ湯」になるはずである*4 。
あわれ ぬるみ が御ざりましよば一くちぎよいにかけられて下さりましよば かたじけなう御ざりましよ
(「ぬるみ」があったら一口いただけたら忝ない、の意)(好色伝授[1693]35ウ2)
「これ玉笹、温湯(ぬるみ) があらば持つておぢや」(安政 5・佐野経世誉免状・前田勇『江戸語の辞典』「ぬるみ」項)
次に自動詞「ぬるまる」について。まず、自動詞「ぬるむ」(ぬるい状態になる)に対して派生した他動詞「ぬるめる」(ぬるい状態にする)があり(開く:開ける、立つ:立てる、育つ:育てる…)、この他動詞「ぬるめる」が再度自動詞化したのが、「ぬるまる」だろう*5 。
西尾(1954:111)
ただ、自動詞「ぬるまる」を用いて「ぬるい状態の湯」の意の語を作ろうとすると、やっぱり「ぬるまり湯」という形になってしまって「ぬるま湯」にはなれない。逆に「~まる」型の動詞が(語幹のまま)「~ま」の形で名詞を修飾することもできない。例えば「あたたま布団」とか「ゆるまズボン」とか、結構かわいいけど言えない。
ここで再度『日国』に頼ると、「ぬるめる」は17Cに例があるが、「ぬるまる」は20Cまで待たないと現れず、18Cから例のある「ぬるま」の素材にはそもそもなり得ないことが分かる。
春一「若水 を少ぬるめて かくるにや」(俳諧 ・六百番誹諧発句合)
「食堂から流れてくる空気はぬるまって いて」(丸山健二 『明日への楽園』1969)
ちなみに、国会図書館 デジタルコレクションの全文検索 ではもう70年(!)、初例を遡ることができる。が、やはり(他の資料を見ても)近世までは遡れない。
ということで、「ぬるまった(湯)」→「ぬるま(湯)」説は、形態的に無理があり、さらに「ぬるまる」由来であると想定する場合は、素材の「ぬるまる」自体が「ぬるま」の成立時期には見られないので、採れない。
可能性③ 「のろま」類推説
上の『日国』の「ぬるま」項では、現代語と同じ「微温」の意の「ぬるま」が語義の(1)に立てられているが、こちらは初例が19Cと遅い。一方、「のろま」と同義とされる「愚鈍」の意の(3)は、18世紀前半と相対的に早いようである。
このことに注目して、まず、「のろま」の方が先にあって、既存の形容詞「のろい」「ぬるい」の力を借りる形で「ぬるま」(語義3、この段階では「愚鈍」と同義)*6 が生まれ、その後、「ぬるい」の意味を継ぐ形で語義1,2(微温)を獲得した、と考えられないだろうか?
では、この「のろま」が何なのかというと、寛文~延宝(1661-81)ごろの人形遣い 、和泉太夫 座の野呂松 勘兵衛が使い始めた、滑稽・愚鈍なキャラク ターを演じる「のろま人形」に由来するようである。少し遅いが、以下の浮世床 の例が分かりやすい。
(騙されて、顔が青くなっているかと思ったと言われ、)
熊「そりやアねへ。青くなりやアのろま人形 で落(おち)をとらア。ヲツトのろま は口から高野ツ。
(そんなことはない、青くなったら(顔が青い)のろま人形に似ているということで落ちを取るわ、おっと、のろまは「口から(口が災いで)高野(出家することになる)」)(浮世床 ・初編巻上[1813刊])
のろま 江戸和泉太夫 芝居に野良松勘兵衛といふもの頭ひらく色靑黒きいやしげなる人形をつかふ これをのろま人形と云 野良松の略語なり 又鎌齋左兵衛はかしこき人形をつかひ相共に賢愚の体を狂言 せしなり それより鈍きものをのろまといへり (増補俚言集覧・下 )
「のろま人形」から「のろま」て……んなわけあるかい!と思うかもしれないが、固有の人物や役職などの名前が、それに典型的な動作・様態一般へと抽象化する事例は結構ある。シャルドネ 、テキーラ 、ホチキスのようにそのままモノ一般を指すケースが多いが、ボイコット、リンチ、ジョンブル、熊公八公、イナバウアー 、太鼓持ち 、鞄持ち、金魚の糞(これは役職ではないか)など、動作・様態に近いものもある。
このようにして「のろま人形」→「のろま」→「ぬるま」という流れを考えると、「ぬる」「のろ」に限って「ぬるま」「のろま」がある理由が説明しやすいと思う。
この説を採るときの問題は、
「ぬるま湯」が18C初に既に見られること(下例a)
「愚鈍」の意の「ぬるま」の文献上の初出はそれより少し遅いこと(b)
「人形」の脱落した「のろま」は早いが(c)、愚鈍を表す確例の初出はそれより少し遅いこと(d)*7
狂歌 ・大団〔1703〕一「風もいるるあつさわすれてぬるま湯 をかかる湯殿のくれぞすずしき」(『日本国語大辞典 』第2版、「ぬるまゆ」の項)
浄瑠璃 ・大塔宮曦鎧〔1723〕三「気の長ゐぬるま の頭(かみ)」(同、「ぬるま」(3))
雑俳・あかゑぼし〔1702〕「時々はのろま 芝居の益気湯」(同、「のろま」(1))
随筆・本朝世事談綺〔1733〕三・態芸門「鈍(にぶき)をいやしめてのろま といひ、癡漢(あはう)に比したり」(同、「のろま」(2))
要するに、文献上では「ぬるま湯」の出現が早いのが困ったところ。ただし、野呂松勘兵衛の活躍期は17C末なのだから、「文献には見出されないが、使われてはいた」(もしくは、もっと探せば出てくる)という可能性を考えれば、この数十年の差は無視してもよいかもしれない。
①②と比べれば大きな時代的な断絶がないこと、形態的に無理のない説明になること、「ぬる」だけに「ま」がつく理由を説明できることなどの利点があるので、私はこの説を推したい。
ちなみに、「とんま」は「のろま」が「鈍い(のろい)」から類推して「鈍間」の表記を獲得した後に、これを音読みしたものだろう。
五兵衛さんの足袋五先生サ。あんな鈍間[とんま]はねへ(七偏人・4編下)*8
まとめ
いかがでしたか?