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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

荻野千砂子(2007.7)授受動詞の視点の成立

荻野千砂子(2007.7)「授受動詞の視点の成立」『日本語の研究』3-3

要点

  • 授受動詞の視点制約について、テ形補助動詞に生じた制約が本動詞に影響した可能性があることを示す

前提

  • 敬語形・テ形補助を持つクレル・ヤル・モラウの3語について考える
    • あなたが私に本を{くれた/やった/もらった}
    • 私があなたに本を{やった/*くれた/もらった}
  • 古代語ではこの3語が独立しており体系をなさない
    • クレルは自分からの授与(遠心的方向、主語視点)と自分への授与(求心的方向、補語視点)の両方を表し、
    • ヤルは文・人に限定され、授与より「遣わす」の意が強く、
    • モラウは「自分が乞い求める」の意が原義にある
  • ヤルの発達の影響でクレルに限定が起こったとする説があるが、それでは本動詞・補助動詞の相違を説明できない

クレル・テクレル

  • 日葡の記述などより、クレルの遠心的方向を表す用法は江戸時代まで残っていた可能性が高い
  • テクレルは16Cに増え始め、17Cに一気に増加する
    • テクレルは命令形や命令形の下接する依頼表現の例に偏る
    • クレルにはそういった偏りはない
  • テクレルに限らず、テ+補助動詞で依頼を表す表現は15C半ばから発達している
    • テタベ、テタマワレ、テクダサレ
    • ロドリゲス大文典に、目上に使うテクダサレやテタマワレを「身分の低い者に向っても盛んに」用いる旨の記述があり、下位者に対しても直接の命令がしにくい状況だったことが窺える
    • 依頼の主格は基本的に二人称なので、この表現形式の多様によって、テクレルの与格に一人称制約が感じられるようになったのではないか

ヤル・テヤル

  • 古代語ヤルに授与の意味はなく、一般的な授与の意味を持つのは室町中期頃か
    • おほかめにyarǒzuと言ふによつて(エソポ)
  • テヤルが現れたのは、ヤルが授与の意味を強めた時期と一致する
  • 特に、テヤロウで動作主の意志を表すものが多い
    • いなか者で、何も知らぬ、だまひてやらふと云て(天理本狂言六義)
    • これは、テクレルが依頼に偏ったことで、一人称の意志を表すことが難しくなったところに入り込んだもの
  • テヤロウ(自分からの恩恵を明確化)とテクレ(自分への恩恵を明確化)が対になることで、本同士も授受を表す対の動詞と認識されるようになったのではないかと考える

モラウ・テモラウ

  • モラウはもともと何かを乞い求める意で、
    • 人ニ物ヲコフヲモラウトナツク如何(名語記)
  • 17C前半まで「乞い求めた結果、相手から授受を受ける」の意であったと考えられる
  • 近代語的なモラウ(相手からの授受のみを指す)の例は室町後期以降
  • 特に、テモライタイテモラワバヤなど、願望を表す形式が多い
  • 同じ一人称のテヤロウに対して、恩恵の反対方向の授受を表す対の表現になったと考えられる

まとめ

  • 以上、モダリティとの結びつきからテ+補助動詞の人称制約が生じ、それが本動詞にも波及したものと見る
  • いわゆる文法化とは別観点で、近代語授受動詞の体系は、本動詞の意味変化だけでなく、テ+補助動詞の発達が大きな契機になったのではないか

雑記

  • この論文J-STAGEでダウンロードできないのなんでだろう

森勇太(2011.9)授与動詞「くれる」の視点制約の成立:敬語との対照から

森勇太(2011.9)「授与動詞「くれる」の視点制約の成立:敬語との対照から」『日本語文法』11-2

要点

  • クレルが持つ視点制約について、
    • 中古においてはそれが存しなかったこと、クレル・テクレルがタブ・テタブと共通性を持つことを示し、
    • 「話し手を高めない」という語用論的制約のもとで成立したものと見る

問題

  • 現代語クレルには、補語視点でしか使用できない視点制約があるが、
  • 太郎が私にプレゼントをくれた(補語視点)
  • 私が太郎にプレゼントを{*くれた/やった/あげた}(主語視点)
  • 中古語では制約が存在しないように見える
    • あたらあが子を何のよしにてかさるものにくれて[=与えて]は見ん。(落窪)
  • この視点制約の成立過程を示す

分析

  • 中古のクレルは基本的に上位者から下位者への授与
  • 他の授与動詞の運用と対照して考える
    • 尊敬語語彙:たうぶ、たぶ、たまふ
    • 非敬語語彙:あたふ、えさす、くれる、とらす
  • このうち、補語視点用法を一定数持つのは、尊敬語語彙とクレルのみ。クレルは敬語語彙と同様、上下関係で運用されていたものと考える
  • クレル・タブはいずれもテ形を持ち、形式上並行する
    • タブはクレルと同様、上位者から下位者への授与を表す
      • 帝は受け手にならず、従者は与え手にはならない
      • 日葡にも上位者から下位者への授与と記述される
  • 本動詞・補助動詞の視点のあり方を見ると、
    • 12-15Cにおいて、本動詞タブは主語視点・補語視点の両用法があり、テタブは補語視点のみ
    • クレル・テクレルはいずれも17Cまで主語視点・補語視点の例があるが、テクレルの主語視点用法は「胴切にしてくれふ」のような蔑みの意味があるもので、基本的には補語視点のみが用いられていたと考えられる
      • テクレルの特殊な用法は「上位者から下位者」というクレルの構造を援用して、聞き手を下位者に置くことによる
    • すなわち、クレル・テクレル・タブ・テタブは、本動詞はどちらも主語視点・補語視点をともに用いることができたのに対し、補助動詞は補語視点のみが用いられた
  • クレルの視点制約は「話し手を高めてはいけない」という語用論的制約のもとで、補語視点用法に偏って用いられるようになったものと考える
    • 主語視点の制限は、「主語と補語の人物の関係に即して語彙を用いる」という運用から、「発話場面ごとに話し手が認定する人物を高め、話し手を高めないようにする」という運用への変化
    • 対者敬語の発達、第三者待遇の抑制、自敬表現の衰退など、固定的な身分関係に基づく敬語運用から聞き手配慮のための発話場面ごとの待遇の変更という運用への変化とも連動している
  • 本動詞と補助動詞に制約の差異があることについて、
    • 本動詞は述語に必須の要素なので、基本的意味を伝達することが優先されるために主語視点でクレル・タブを使用することができたが、補助動詞では基本的意味が希薄化されているために待遇的意味が重視されることにより、主語視点用法が語用論的違反とみなされた
    • テクレ等が多用されたことによって本動詞にも視点制約が波及したとする説があるが、補助動詞に生じた意味が本動詞に付与されることは起こりにくいので採れない
    • ヤルの授与動詞としての一般化がクレルの視点制約の形成に影響したとする説があるが、むしろ、クレルに運用上の偏りが起こったことで、主語視点用法をヤルが担うようになったと考える

雑記

  • 最悪地獄ニュース

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小柳智一(1996.3)禁止と制止:上代の禁止表現について

小柳智一(1996.3)「禁止と制止:上代の禁止表現について」『国語学』184

要点

  • 上代(・中古)の禁止について、
    • 禁止する対象によって、禁止(事前阻止)、制止に分けられ、ナーソ・ナーソネ・ナーはその両方(その中間の抑止)を表すが、ーナは強い禁止のみを表す
    • 禁止は陳述副詞、仮定条件句と呼応・照応し、制止は指示副詞・程度副詞、詠嘆・「なくに」の句と呼応・照応する

前提

  • 古代語の禁止表現4種類
    • Ⅰナーソ
    • Ⅱナーソネ
    • Ⅲナー
    • Ⅳーナ
  • このうちⅠⅣは上代・中古を通して用いられるが、ⅡⅢは上代のみで、中古には見られない
  • 用法上の差異については、禁止の強さに注目する研究が多いが、禁止する対象についても指摘もある
  • 禁止の対象が「実現しているかしていないか」という点に着目するものだが、指摘にとどまるので詳細に見ていく

禁止と制止

型と用法の関係

  • 例えばⅠ型は、
    • 葦垣の末掻き別けて君越ゆと人にな告げそことはたな知れ(3279)
    • 照る月を雲な隠しそ島陰に我が舟泊てむ泊まり知らずも(1719)
    • 未だ実現していないものを予め禁じることを「禁止」、既に実現しているものを中断させることを「制止」と呼ぶと、前者が禁止に、後者が制止に該当する
  • Ⅱ・Ⅲにも禁止・制止の両方が見られるが、Ⅳには禁止しかない
    • 犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせ我が名告らす(2710)

構文上の特徴

  • 構文上の特徴を見ていくと、多くは禁止・制止のどちらかに偏って現れる
    • 禁止:使役性述語、受身性述語、忘る、散る、絶ゆ、たなびく、立つ、踏む
      • 動作全体を一まとまりとして意味しやすい語
    • 制止:恋ふ、わぶ、降る、刈る、鳴く
      • 動作の過程や継続の相を意味しやすい語
  • 呼応する副詞に明確な区別があり、
    • 禁止:陳述副詞
      • ゆめよ…告らすな(590)、結ふなゆめ(1252)
    • 制止:指示副詞(現場指示)、程度副詞
      • 指示副詞は現場指示、程度副詞も目前で実現することの程度の表すもので、現場指示に近いところがある
      • しかもな言ひそ(3847)、かくなせそ(伊勢)
      • いたくなはねそ(153)、あはにな降りそ(203)
  • 照応する句にも区別があり、
    • 禁止:仮定条件
      • 心あらば我をな頼めそ(3031)
      • 仮定条件と禁止は未だ実現していないという点で合致する
    • 制止:詠嘆、「~なくに」
      • やはり今まさに遭遇している事態に対するもの

上代の禁止

  • 典型から外れる例は、抑止ともとれるもので、制止と禁止の両者を繋ぐもの
    • 酒殿は今朝はな掃きそ(神楽歌86)は、ひとつづきのことを中断させる点で制止に近いが、「今朝」はまだ実現していないので禁止にも近い
  • ⅠⅡⅢは用法上の差異がないが、Ⅰが圧倒的に多いので一般的で、ⅡⅢは歌謡にのみ用いられる、特殊な形とみられる
  • Ⅳは禁止しかなく、しかも、禁止の度合いが強い
    • 文末でようやく禁止の意が出るーナは、切羽詰まった制止の意を表すのに適した形ではなく、
    • 禁止に限られるためにその濃度が濃くなったためか

雑記

  • おいしそ~勉強になる~

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秋田陽哉(2015.5)源平盛衰記に見られる命令を表す「べし」

秋田陽哉(2015.5)「源平盛衰記に見られる命令を表す「べし」」松尾葦江『文化現象としての源平盛衰記笠間書院

要点

  • ベシの命令の意について、以下の点を示す
    • 中古にはほぼ見られないが、中世に多く見られるようになること
    • 盛衰記には多く見られ、覚一本・延慶本より新しい語法を示すものか

前提

  • ベシの多義性の中で、命令をどのように位置づけるかという問題がある
    • 命令形が示す命令とは異なるものとする立場
    • 命令の意味を積極的に認めないほうがよいとする立場
  • 中古・中世のベシの調査を通して、ベシの用法から盛衰記を語法史上に位置付ける

中古~中世のベシ

  • 中古において、仰すの直前の会話文に命令を表す語が現れることがあるので、ベシがそのような現れ方をするかを見てみると、ほとんど現れない
    • 「其のよしつかうまつれ」とおほせたまうければ(大和)
    • 「さも言ひつべし」と仰せらる(枕)は、推定のツベシで命令ではない
    • 摂政殿御覧じて、「まづ祝の和歌ひとつ仕うまつるべし」と仰せらるるままに、(栄花)のような例はほとんどない
  • 中世において、「仰下ス」「下知ス」「申遣ス」に着目して見てみると、延慶本・覚一本に比して、盛衰記はその位置にベシが来ることが多く、
    • 「挙シ申ベシ」卜仰下ス/「浮橋渡スベシ」ト下知セラル(盛衰記)
  • 覚一本の命令形と対応する箇所もある
    • 「土佐ノ畑へ流シ奉ルベシ」トゾ被レ定ケル(盛衰記)
    • 「土佐の畑へ流せ」とこそのたまひけれ。(覚一本)
    • 盛衰記の語法が覚一本よりも新しいことを示すものか
  • 命ニ随テ、御命ニ背キガタサニ、など、命令と判断できる表現と共起することがある
  • 以上より、
    • 盛衰記の頃のベシには命令形に近似した命令が存在したと考えられ、
    • 覚一本に比べて命令のベシが多用されており、盛衰記の語法が覚一本よりも新しいことを示す可能性がある

雑記

  • これ知らなかった

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山田昌裕(2000.6)主語表示「ガ」の勢力拡大の様相:原拠本『平家物語』と『天草版平家物語』との比較

山田昌裕(2000.6)「主語表示「ガ」の勢力拡大の様相:原拠本『平家物語』と『天草版平家物語』との比較」『国語学』51-1

要点

  • 原拠本平家と天草版平家に対照によるガの勢力拡大について、主に以下の3点を示す
    • 対象を明示化する指向があること
    • 疑問文においてカ・ヤからガへ移行すること
    • ノからガへの移行が主に詠嘆表現で起こること

自動詞文におけるガの進出

  • 原拠本において、主語標示に入り込んだ助詞はガが多い
    • 主語標示機能は従属性・連体節から発達したものは古代語の機能の延長上にあるが、主節内における使用も新たに見られ、特にこの点に注目する
  • 主節ガにおける述語は、特に非対格自動詞文における無助詞主語への付加が多い
    • 子細アリ→子細がある など、存在動詞の例が多く、
    • 終リナカルヘキカ→終りがあるまじいか? のような否定表現の場合は、通常 儀あるまじ→儀わあるまい のようにハかモが付加される
  • 原拠本において既にガがある場合は強調文脈で用いられる、主語ゾ―連体形の効果を引き継いだものだが、天草版においてはニュートラルな状態であり、単なる主語標示に用いられていると言える
    • 表現効果上の付加でないとした場合、これは、内項(internal argument)の対象(Theme)を明示化しようとする意識の現れとして位置付けられる
    • 形容詞文(涙押ヘカタシ→涙が抑えがたい)も対象を明示化するという点で、これに準ずる
  • 一方で、Agent を明示化する動き(外項の明示化)はこの段階ではあまり見られない
    • 他動性・意志性によって論理関係が支えられており、あらためて語と語の関係性を明らかにする必要性がないため
    • 語の関係が曖昧な場合にガが追加されている
  • よって、全体としては無助詞主語も多い

疑問文におけるガ

  • 原拠本においてはカ・ヤが活発だが、ガに置き換えられる例がある
    • なんのおそれか候べき→なんの恐れがござらうぞ?
    • これらの例も全て、非対格自動詞文・形容詞文であるので、係助詞カ・ヤの衰退と内項の明示化が相まってガが用いられるようになったものか

ノとガ

  • ノがガになったものには、まず、詠嘆表現の例がある
    • トクシテ・日ノ暮ヨカシ→早う日が暮れいかし
    • 言い換えれば主節におけるノは尊敬対象標示へと収束しているわけだが、
  • 尊敬を伴う場合にもガが用いられることがあり、軽卑対象標示を喪失したと考えられる
    • 木曾宣ケルハ→木曾殿が言われたわ

雑記

  • このCM、「飲み会はやったのか?」「やってます」のとこでオチてるのが15秒版だと分かりにくく(30秒版だと分かりやすい)

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  • が、これで分からないところはこういうの導入しないような気もする

青木博史(2004.9)複合動詞「~キル」の展開

青木博史(2004.9)「複合動詞「~キル」の展開」『国語国文』73-9

要点

  • 複合動詞キルの用法が切断→遮断→終結→極度→完遂と展開したことを明らかにしつつ、
  • 九州方言における可能の~キルとの関係性についても述べる

前提

  • 以下のような複合動詞キルの用法は、どのように形成されたか?
    • 語彙的複合動詞では、切断(焼き切る)、終結(乗り切る)
    • 統語的複合動詞では、完遂(走り切る)、極度(冷え切る)
  • さらに、九州方言では状況可能にキルが用いられる
  • 方言の状況も視野に入れつつ、史的展開について考察

史的変遷

  • 中古において、
    • 本動詞キルに近い切断の意と、空間の遮断の意、終結を表すものもある
      • 裁ち切りて(うつほ)/御几帳を…立てきりて(紫式部日記)/聞こえきりて(和泉式部
      • 物体→空間→時間という抽象化
  • 中世後期になって、極度を表す例が見える
    • スンデシヅマリキツタ者ゾ(蒙求抄)
      • 終結に動作強調(きっぱりとする)の意があり、その結果側が注目されたもの
  • 完遂の意は近世以降の新しい用法ではないか
  • すなわち、以下の展開が想定される
    • A 物の切断 一部の動作動詞
    • A' 空間の遮断 一部の動作動詞
    • B 終結~強調 発話・思考動詞
    • C 極度の状態 変化動詞、限界動詞
    • D 動作の完遂 動作動詞、非限界動詞
      • 限界性を有しない場合にもアスペクチュアルな意味を付け加えることにより適用されたもので、Dの完遂は二次的な意味
    • 現代語ではDが中心的だが、歴史を踏まえるならば訂正を要する
    • これにより、変化動詞―極度状態 動作動詞―動作完遂という分布が生まれている

可能への展開

  • 九州方言の可能のキルについて、完遂の意から可能の意が生じたとする説があるが、可能はむしろ可能性の有無を問題にするのであって、直接繋がるか疑わしい
  • 可能の成立条件として、動作主性と話し手の期待の2点が挙げられるが、キルの場合は動作主性が弱くても成り立つ(雨が降りきらん)
    • 例えば、薩摩の「言い切らん」は「とても言い出せない」という、いわば可能の前段階(敢行表現)である
  • このような話し手の心情を内包するキルは、キルの「十分な状態へ至る」という性質から導かれるのではないか
    • とすると、aよりbを想定すべき

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p.43

  • 渋谷の示す可能のスケールを用いて九州方言のキルを見る
    • 動作主体内部条件←心情・性格―能力―内的―外的―外的強制→動作主体外部条件
  • 心情可能の場合にキルが多くなることは当然だが、内的(お腹がいっぱいで食べきらん)・外的条件(陽が当たらないので花が成長しきらん)も使用率が高い
    • これは、話し手の心情が関与すれば他の条件でもキルが使用されることを示す
      • 心情可能と解する可能性もあるが、これは可能を生じせしめる要件として認めればよいものと考えられる
    • なお、ヨーの場合、potential の用法しかない(actual *書けるかどうか書いてみたらヨー書イタ)というが、actual はある種の語用論的要素で、狭義の可能は potential を指すべきではないか
  • エ・キルを完遂系、(ラ)レル・デキル・可能動詞を自発系としたとき、
    • 九州方言では能力可能が前者、状況可能が後者にほぼ対応し、
    • 中央語の歴史は完遂系から自発系へという大まかな流れへとして把握できる

雑記

  • ダンカンってすぐちょっとした犯人の役になるね

吉田永弘(2015.5)『源平盛衰記』語法研究の視点

吉田永弘(2015.5)「『源平盛衰記』語法研究の視点」松尾葦江『文化現象としての源平盛衰記笠間書院

要点

  • 延慶本・覚一本との比較により、源平盛衰記の後代的言語現象を探る

前提

  • 源平盛衰記は14C前半成立だが、現存伝本は16C中頃以降成立
  • 慶長古活字版には、原本の本文成立時にある新出語(中世語的現象)に、さらに新たに生まれた新出語があることを念頭に置きつつ、新出語・語法を見ていく

新出語

  • 例えば、泣く様子を表す「ミロ〳〵ト」が、日国の初出例にあり、延慶本・覚一本にはない
    • が、これは盛衰記の語彙量の多さに起因するだけかもしれず、14世紀に出現し得ないことの証明にはならない
  • 前の時代に代わりとなる語が存在する場合、後出の語と見なせるかもしれない
    • 徐(よそ)ガマシクの例が、延慶本・覚一本では「よそに」とある

新出語法

  • 二段活用の一段化は後代的
    • うち、異文があるもの(古活字版で「聞エル」、近衛本・蓬左本で「きこゆる」)は、古活字版時点での新出語法
  • 漢文訓読に由来する「連体形+の+名詞」構文
  • 「周章死に失給き」について、
    • 「周章」(あはて)は、覚一本などには「あつち」(あつつ)、盛衰記のものは「あつつ」の語義が分からなくなったために類似するカタカナ語形の「アワテ」と解釈したことによるもの
    • 「死に失給き」の箇所は、「~死に+死に」が延慶本など、「~死に+す」が覚一本、「~死にに失す」が盛衰記にあり、他資料を見てもこの順で出現している。盛衰記はこの点において、延慶本・覚一本より新しい語法を取り入れている
  • 「たとひ」が已バトテ、名詞マデモと呼応する。このような例は延慶本・覚一本にはなく、狂言六義や浮世草子に見られる
  • 中世後期、ナラバの上接語に活用語が進出するが、平家の活用語ナラバを見ると、覚一本は動詞のみ、延慶本は動詞・ベシ・マジ(応永書写時の現象の混入か?)、盛衰記にはベシ・形容詞・ムの例がある
  • 「召さる」を「する」の尊敬語として用いる例がある。延慶本・覚一本にはなく、日国の初例は史記抄。斯道本や天草平家などの中世後期成立のテキストには見られる

雑記

  • 杉を燃やそう