ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小田佐智子(2016.3)岐阜方言の原因・理由に表れるモンデ

小田佐智子(2016.3)「岐阜方言の原因・理由に表れるモンデ」『阪大社会言語学研究ノート』14

要点

  • 岐阜のモンデの形式的・意味的特徴の記述、
  • 形式的特徴、
    • デ・モンデのいずれも終止形接続(あるデ/モンデ)だが、モンデは連体形接続(簡単なモンデ)も可能
    • ダロウ・ハズはモンデに共起しない(寒いだろうデ/*モンデ)
    • 認識的モダリティ・働きかけが主節末の場合もモンデは不可
    • デは焦点化できるが、モンデは焦点化できない(そんな寒い格好しとるデ/*モンデよ)
  • 意味的特徴、
    • モンデは話し手の主観から切り離した事態の因果を説明するもので、
    • 話し手に意志や判断が入り込む余地がなく、聞き手に行為選択の余地がないために依頼場面に用いられやすい
    • 言い訳や弁明など、話し手の意志や意識の存在を示さない場合に用いられやすい

雑記

  • やばいやろ!年度末て!

金沢裕之(1995.5)可能の副詞「ヨー」をめぐって

金沢裕之(1995.5)「可能の副詞「ヨー」をめぐって」『国語国文』64(5)

要点

  • 関西~中国・四国のヨーの歴史を明らかにしたい
  • 江戸後期以降の調査、
    • 戯作にヨーの例はなく(一荷堂半水作に偏るため?)、エは洒落本にのみ例あり
    • 能力可能、外的条件可能、心情可能のいずれの例もまんべんなく見られる
      • 能力可能は個人が習練する能力(舞を舞う、本を読む)が目につく
      • 外的条件可能の動詞はそれに比べて多様
  • 心情可能について詳しく検討、
    • 非難のヨーの例のうち、特に可能との共起例が注目される:よふあないいへるナア(すいのすじ書)
    • これは、自己の基準を越えるものとして驚きや非難を示したもので、それを自身に仮定すると「私なら~することは到底できない」という心情が浮かび上がる
      • あいつそんなこと{ヨー/ヨク}言うなあ/私はそんなこと{ヨー/*ヨク}言わん
    • すなわちヨーの心情可能は、基本的には話し手にとっての他者への否定的感情から発するもので、結果として話者の心情的な側面に由来する不可能さを示すことになる
  • なお、ヨー肯定の分布は狭く、発生も遅い

雑記

  • 体重めっちゃ増えてる

三宅俊浩(2019.12)近世後期尾張周辺方言におけるラ抜き言葉の成立

三宅俊浩(2019.12)「近世後期尾張周辺方言におけるラ抜き言葉の成立」『日本語の研究』15(3)

要点

  • 尾張のラ抜きについて論じたい
    • 使用率の高い中国四国・東海東山が不連続であり、京阪・東京では使用率が低く、中央語史の観察だけでは成立過程の解明が困難である
  • 調査、
    • 19C初頭にはラ抜きが確認され、
    • 幕末頃には既にラレル形が見出し難くなっている
    • 2拍動詞はラ抜き、3拍以上はラレルという偏りがある一方、上方にはラ抜きが見られないので、独自の成立過程を想定する必要があろう
  • 先行説の検討、
    • ar脱落説は、2拍動詞にのみ出現した理由を説明し難く、可能動詞の派生元にレルを位置付ける点も問題
    • ラ脱落説は、なぜ可能の場合のみラが脱落するのかを説明できない
    • ラ行五段動詞からの類推説は有力ではあるが、地域差を説明できない点で問題が残る
  • 尾張のラ抜きの成立要因を、尊敬と可能の衝突の回避と、異分析の過剰適用に求める
    • 近世後期上方・江戸の可能のラレルは、いる・寝る・出るに動詞に偏り(おそらく尾張も同様)、これらの動詞はラレルがついた場合に受身を表さず、相補的である
      • 五段動詞で可能動詞が確立しても、一段動詞で新たな可能表現を成立させるだけの動機はなかった
    • 尾張は(ラ)レル敬語の運用が豊富であり(一方、江戸・上方では盛んではない)、下図の⑦⑧⑨、⑪⑫の衝突を避けるのが、一段動詞の可能専用形式産出の動機である

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p.10

  • これが特に、ラ行五段動詞においては可能・尊敬の対立がラ音の有無(~レル/~ラレル)と捉えられ、その異分析が2拍一段動詞に適用されたと考えられる
    • この動きを推進したのはラ行五段動詞の所属語数の多さよりも運用の多さで、最頻出である存在動詞オルが類推の元となったと考える
    • 中国地方のラ抜きの分布も同様の条件を満たし、仮説を強化する

雑記

内間直仁(1985.3)係り結びのかかりの弱まり:琉球方言の係り結びを中心に

内間直仁(1985.3)「係り結びのかかりの弱まり:琉球方言の係り結びを中心に」『沖縄文化研究』11

要点

  • 中央語の係り結び衰退の要因は明らかでないが、琉球語が示唆する点がある
  • 琉球の活用形について2点、
    • 奄美・沖縄では終止形、連体形、du係結形が概ね区別を保っている
    • 先島では、連用形、終止形、連体形の区別はないが、m語尾系の終止形は区別される
      • また、八重山石垣では連用形、与那国祖納では連体形が区別を保つ
  • duのかかり方は、
    • 奄美・沖縄では 1 du-du係結形、連体形、2 du-終止形
    • 先島では、1 du-連体形(奄美・沖縄とは系統が異なる)、2 du-連体形以外
  • この実態に基づいてdu助詞のかかりの弱まりについて考えると、
    • 奄美・沖縄の場合、
      • du係結形は通常ru語尾を取り、このru語尾は居る・あるのルに由来するので、この呼応関係は首肯できる
      • ru語尾連体形以外にn語尾連体形にもかかるところがあり(古仁屋)、これは、du助詞のかかりの力の弱まりの流れに位置付けられ、
      • 終止形にかかることもあるが、これもかかりの弱まりから説明される
    • 先島ではduは連体形と呼応するが、先島の連体形は国語の連用形に対応するもので、連体形以外にかかることも併せて、奄美・沖縄よりもかかりの力が弱い
  • gaのかかりは、
    • ga-ga係結形(ra語尾)にかかり、このraは連体形とは対応しないが、
    • これは未然形に対応するもの(katʃura < *kakiwora)で、
    • 連体形に由来するものと考えられる(kakiworamu > kakiworan > *kakiwora)
    • 末尾のムの脱落は、やはりgaのかかりの力が弱まったことによる

雑記

  • 3月の締切、やだな

鈴木泰(2017.11)古典日本語における認識的条件文

鈴木泰(2017.11)「古典日本語における認識的条件文」有田節子(編)『日本語条件文の諸相:地理的変異と歴史的変遷』くろしお出版

要点

  • 認識的条件文の前件の以下の3分類に基づき、今昔の条件文を概観する
    • A 発話時の時点で成立・非成立が決定している(昨日の試合でもし日本が勝ったのなら、)
    • B 発話時以降に成立することが発話時に見込まれる(どうせ不幸になるなら、)
    • C 対話相手の発言などにより導入(謝るくらいなら、)
  • 諸例、
    • A:其ノ男、主ト親ク成ナバ、衣ヲバ不取デ去ネカシ。(その男も、関係まで持ったのなら、着物だけは取らずに行けばよいものを)
    • B:同ジ木ヲ食ナラバ、寺ノ柱ヲモ切食ム。(どうせ木を食べるなら、寺の柱でも食べなさい)
    • C:(発話を承けて)実ニ一定其ノ衣ト見給ハヾ、聖ヲ捕ヘテ可問キニコソ有ナレ
    • A,Bは見出しにくく、Cが認識的条件文の中心的なタイプである
  • 現代語ではナラが担当するが、古典語では傾向を見出しにくい
    • 未バ、ナラ+バ、ムハが多く、
      • ムハが多いことは、古典語でも認識的条件文が提示性と仮定性にわたることを示すもの
    • 已バや単純接続の場合もある
    • 「古典語においては、認識的条件文は、条件法にとどまらず、ひろく接続関係一般にみいだされるということである」(p.112)

雑記

  • 週末のninjalシンポおもしろかったね

堀崎葉子(1995.3)江戸語の疑問表現体系について:終助詞カシラの原型を含む疑い表現を中心に

堀崎葉子(1995.3)「江戸語の疑問表現体系について:終助詞カシラの原型を含む疑い表現を中心に」『青山語文』25

要点

  • 疑問のうち、「問い」についてはほぼ明らかであるが、「疑い」はそうではない
  • 「疑い」の形式は、「問い」と同形式であるかという点で2類に分けられる
    • 1 同型の場合、
      • A 説明要求の質問文と同型
      • B 判定要求・選択要求の質問文と同型
      • 推量を含む例が時代を下ると増える
        • 「疑い」であることを明示する働きを推量の助動詞が持つようになったこと、問いと疑いが分化することを示唆する
    • 2 異型の場合、
      • C 疑問詞+カ・ヤラ
      • D シランをつけるもの
      • E 不定表現+ヨウダ・ソウダ・ハズダ(どふかぬしや見た様だ)
      • F ハテを用いるもの
  • 特にカシラについて、村上(1981)以降の様相が明らかでないので詳述
    • 疑問詞のある場合にシラン・カシラン、疑問詞のない場合はカシランのみ
    • 化政期以降には文中用法が見られるようになる

雑記

  • 7日坊主になりそう

村上昭子(1981.7)終助詞「かしら」の語史

村上昭子(1981.7)「終助詞「かしら」の語史」『馬淵和夫博士退官記念国語学論集』大修館書店

要点

  • 終助詞カシラの成立の過程について考える
    • 抄物にはないので、虎明本と虎寛本の比較を示す
  • 虎明本では ~しらぬ、~しらず、~ぞんぜぬ があり、まだカシラヌは成立していない
    • どの例も独白部分で用いられており、話し手自身の疑念を表すものと考えられる
    • このとき、疑いを表すのは疑問文の方なので、シラヌについては以下の2通りの解釈が成り立つ
      • シラヌが「知らない」の意味を残している場合
        • 「疑問文がシラヌの目的語」か「先行する疑問文と、自答のシラヌ」かは、決定し難い
      • 「知らない」の意味が薄れ、疑問文の疑いを明確化する役割を持つ
        • こちがさけにようたに依て、めがちろめくかしらぬな(金津地蔵)
      • この2種は区別し難い場合も多く、シラヌが前者から後者へ拡張したことの現れであると見られる*1
  • 虎寛本では、
    • 虎明本ではゾが担っていたWh疑問に、カシラヌが進出する(図表)
    • 肯否疑問とWh疑問の両方がカシラヌを取るようになったわけで、ここに至って終助詞カシラが成立する基盤が出来上がったものと考えられる

雑記

  • 学振の書き方記事書こうかな

*1:「AかBか分からない例がある」のはあくまでも内省が効かない人がゴールから見た場合であって、「AかBか分からなくなったからBに派生した」というのは(話者側はAかBかどっちかのつもりで使っているはずなので)因果として変だなといつも思う。