ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小田勝(2006)不十分終止の句(3)提示句の諸相

小田勝(2006)「不十分終止の句」『古代語構文の研究』おうふう

要点

  • 「提示句」とその連続について、a の変形に b, cがあることを指摘する(第3節)
    • a 此ノ牛、片山ニ―ノ石ノ穴有リ、其ノ穴ニ入ル。(典型的な提示句)
    • b 此ノ牛、片山ニ―ノ石ノ穴有リ、入ル。
    • c 此ノ牛、片山ニ―ノ石ノ穴有ルニ入ル。
  • 下文の指示語を非表示にする場合(b)
    • 伊勢人、年来乗レル所ノ白キ馬有リ、鞍ヲ霞キテφ馬ニ云ヒ含テ云ハク、…
    • 和文にも提示句は存在するが、主文中に指示語・被指示語が示されないケースが多く、注意が必要である
  • 提示句を準体句化する場合(c)
    • …トスルニ、一塵ノ財ヲ無シト云ドモ空キ倉許ハ有ルニ行キテ、
  • 近藤(1981)の形状性名詞句の分類、
    • 同一名詞消去型
    • 同一名詞追加型
    • 同一名詞残存型
    • c は同一名詞残存型にあたるが、消去型が普通の準体句、追加型がいわゆる同格構文としてごく普通に見られるのに対し、cが存在する背景は明らかでない
  • このとき、ここまでに見たa-cを並べてみると、それぞれが関連を持つことが分かる
    • 準体句化した a や、b を格助詞で下に結びつければ c
    • c を句の形で表現すれば a
    • すなわち、「同一名詞残存型の準体句」は、下文の格成分の提示的な役割を担っている
    • 同格構文の中に「N+ノ+アル」型があるが、これも提示句を背景とする型であろう

雑記

小田勝(2006)不十分終止の句(1,2)提示句

小田勝(2006)「不十分終止の句」『古代語構文の研究』おうふう

要点

  • 形態上独立した句をすべて「挿入句(はさみこみ)」で説明するのは難しい(問題の所在)
  • 挿入句とは異なるタイプのものとして、「提示句」が存在することを示す(第2節 提示句)
    • 挿入句は削除可能だが、次例は削除すると意味が通らない
    • 此ノ牛、片山ニ―ノ石ノ穴有リ、其ノ穴ニ入ル。
    • 「提示句は文中の格成分が句の形で提示されたものと解釈され、適切に連続する一文の中に別の文が補足説明として挿入されたと解釈される「挿入句」とは異なる」
  • 提示句は今昔に例が多く見られるが、原漢文に起因するものとは言えない
  • また、提示句を基礎とした複数の句の連続が見られる
    • 提示句とその補足説明の挿入句:「…」ト云テ、(提示句)一人ノ乞匈人有リ、(挿入句)形貌醜クシテ人ニ不似ズ、此ヲ召シテ王ノ云ク、…
      • 「「提示的句連統」の複雑なものは、読点と句点の二種という現行の句読点のシステムでは、これを適切に示すことができない」
    • 2句以上からなる提示句
    • こうした長い提示句連続により、構文破綻が起こることもある

雑記

  • 日本の古本屋とかヤフオクに安めに出てますね

京健治(2001.3)「ウズ」「ウズル」の衰退に関する一考察

京健治(2001.3)「「ウズ」「ウズル」の衰退に関する一考察」『文献探究』39

要点

  • 近世期に急速に衰退するウズ・ウズルについて考える
  • 大まかな流れ、
    • ウ優勢の流れにあって、ウズ・ウズルが衰退する
    • その中で、ウズル優勢からウズ優勢へと逆転していく
  • この流れの中で、ウズは終止法に偏って用いられるが、このときのウズ・ウズルの違いは以下のようにまとめられる
    • ウズ:対句的表現や中止法(そこで文が終わらず、次に続いていく気息が感じられる*1
    • ウズル:発言の終わりにあることが多い
  • 近世初期において、ウズがウズルに比して遅くまで使われたのは、この対句的なウズが残ったからであろう*2
  • ただし、これもマイ出自の接続助詞シがウに接続するようになったために*3、存在意義をなくしたのだろうと考えられる

雑記

  • 避けてきたけど、やっぱりあんまり好ましくないと思う

メモ

  • 不十分終止とシを表裏的な関係で捉えるとき、タシとか形容詞とか、シにつくのが遅いものがシに付く前に、不十分終止(による並列)が使われなくなることをどう説明するかが問題になる(因果関係を持つわけではなく、疑似相関だと思う)

*1:さすがにその根拠が欲しい

*2:蜂谷1971

*3:鈴木1990を引くべきところだろうと思う

京健治(1993.6)「不十分終止」の史的展開:旧終止形残存の文法史的意義

京健治(1993.6)「「不十分終止」の史的展開:旧終止形残存の文法史的意義」『語文研究』75

要点

  • キリシタン資料や狂言に見られる旧終止形の例について考える
    • 既に消えたとされるツ・ヌ・タリ・ナリ・タシ・形容詞終止形が当時の口語にも生きていたものと考えられる(天草版で新たに現れる例がある)*1
  • これらの旧終止形は、意味が切れずに下に続く「不十分終止」で、鎌倉時代以前にも例がある
  • 中世後期口語資料の旧終止形は、たまたま古形が混入したのではなく、不十分終止が生き続けたものであり、これによっていくつかの言語現象が説明され得る
    • シの成立

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p.6

  • ウズ・ウズルの併存状況
    • 従来、ウズは「強い語感」などとされてきたが、旧終止形が中止法として用いられたと考えるべき

雑記

  • 不十分終止、誤解を招く術語だと思うんだよな~、「ご飯も食べてない 宿題もやってない」とか普通に言うわけで、
  • 文を要素として提示してるのであって、別にそれが「不十分な終止」ではなくないか?ということ

*1:これは別に、終止形という形態が生きていたと考える必要はなさそうだけど

三宅清(2005.3)推定の助動詞「めり」と「なり」の意味用法:証拠の在り様をめぐって

三宅清(2005.3)「推定の助動詞「めり」と「なり」の意味用法:証拠の在り様をめぐって」『国語学研究』68

要点

  • メリは視覚、ナリは聴覚に基づく推定とされるところ、Evidential の観点から改めて、視覚・聴覚という分析を超えて考えたい
  • 先行論、メリ・ナリは未然バ節の帰結にならないのでいずれも「現実性」を表すと括ることができ、すなわち、構文上はメリ・ナリに顕著な差は見られない
  • 証拠の類型を分類すると、メリは近く、ナリは遠い
    • メリの場合、
      • 1 見て判断している場合:透影見え侍り。…かしづく人侍るなめり。
      • 2 状況から判断している場合:昨日待ち暮ししを、なほあひ思ふまじきなめり
      • 3 話・音から判断している場合:(会話を承けて)人違へにこそ侍めれ
      • 4 自分自身の体験から判断している場合:それにつけて…思ひ給へ嘆き侍る
      • いずれも、証拠と判断対象との距離が極めて近い関係にあると言え、この特徴が婉曲(断定してもよいようなことを遠回しに言う)ことにも繋がる
    • ナリの場合、
      • 1 声・音から判断している場合
      • 2 話から判断している場合
        • 判断のもとになる話は、判断主体の目の前にいない場合がほとんどを占める
        • メリの場合は例が少なく、かつ主体の目の前にいる場合しかない
    • 「証拠と判断対象との間にそれ相当の距離が設けられる」と言える
    • 上代のナリは全て声・音の場合で、かつ「鳴く」「音す」など、音源に直接している例が多い(すなわち、証拠との距離が近い)

雑記

  • 働きたく……!!

高木千恵(2005.3)大阪方言の述語否定形式と否定疑問文:「〜コトナイ」を中心に

高木千恵(2005.3)「大阪方言の述語否定形式と否定疑問文:「〜コトナイ」を中心に」『阪大社会言語学研究ノート』7

要点

  • 大阪方言における分析的な否定形式コトナイと、否定疑問形式コトナイカについて考える
  • 述語の否定形式は以下の通りで、

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p.74

  • これらの否定形式を用いた疑問文の用法には、以下の3種がある
    • 話し手の感情(成立への期待・不安)を表す否定疑問文
    • 話し手の認識を表す否定疑問文
    • 文末形式として固定化された否定疑問文
  • このうち、コトナイカは話し手の認識を表す場合にのみ置き換え可能で、認識的モダリティとしての固有の用法を持つ
    • たぶん、キャンセル待ちをすればなんとかなるコトナイカ?/ならヘンカ?(80)
  • 以下の条件下で置換可能で、トオモウの否定疑問にも類似する用法がある

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p.83

雑記

  • 事務の人に「先生痩せたことないですか?」言われて、えっそれ初めて聞いたってなった

宮崎和人(2020.10)可能表現の研究をめぐって

宮崎和人(2020.10)「可能表現の研究をめぐって」『国語と国文学』97(10)

要点

  • 可能は(ヴォイスではなく)モダリティの範疇で記述すべきであることを主張し、特に以下の3点について考える
  • 1点目、可能と実現について
    • 可能はポテンシャル(彼はその曲を最後まで歌える)、実現はアクチュアル(最後まで歌えた)である点で対立し、中間的な「アクチュアルな可能」(そのとき、僕はその曲を歌えた=歌うことが可能であった)もある
    • このことに基づいてテンポラリティから可能と実現を見ると、
      • 恒常的なポテンシャルな可能があり、
      • 過去は実現が中心となりつつ、ポテンシャルな可能(当時の学生は割引料金で映画を見ることができた)、アクチュアルな可能(状況的に可能であった)
      • 現在にも未来にも可能・実現のそれぞれが存する
  • 2点目、可能を条件づける要因について
    • アクチュアル/ポテンシャルと状況/能力可能が混同されている場合があるが、ポテンシャルな状況可能(晴れた日にはここから富士山を見ることができる)もある
      • 用語としては「条件可能」としておくのがよいだろう
    • 能力可能にもまた、ポテンシャルなものとアクチュアルなものが設定できてしまう
    • 以上より、能力と状況だけを要因として取り上げるのは明らかに不十分で、以下のように整理するのがよい
      • 従来の日本語の可能の記述ではデオンティックな可能(テモイイ)が可能の記述から漏れがちである
  • 3点目、可能と可能性について
    • can のごとく、日本語の「しうる」も、可能と可能性にわたって用いられる
    • することもある/可能性がある などの形式が、「可能性表現」の記述対象としてあり得る
  • 能力・条件可能はヴォイスに、デオンティックな可能はモダリティに、可能性は命題に、それぞれ別の範疇で取り扱われがちであるが、これはモダリティの規定の問題によるものだろう
    • モダリティを「現実の世界のできごとの存在のしかた」と定義する限り、これらの3種はすべてモダリティである

雑記

  • 「丁寧さのモダリティ」聞くたびに、いやお前は丁寧さやんってなる