ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

酒匂志野(2002.7)源氏物語における複合動詞「~しそむ」の意味

酒匂志野(2002.7)「源氏物語における複合動詞「~しそむ」の意味」『国文』97

要点

  • 源氏を対象に、Vシソムのアスペクト的な意味について考える
  • 以下の観点から分類する
    • 「短時間の具体的な動作・変化」か「長期にわたる大規模で複合的な動作・変化・状態」か
    • 進展的(漸次的に変化する最初の状態)か持続的か
    • 動詞の限界性に基づくと、
      • 結果的な限界の自動詞/他動詞
      • 非結果的な限界の自動詞/他動詞
      • 無限界自動詞/他動詞
  • このように考えたとき、
    • 限界動詞がVソムを取ると、「大規模・進展的」になりやすい
      • 桜ほのかに咲きそめて/おのづからかばかりならしそめつる残りは、…
    • 限界動詞が持続的になる場合、おはす・来などの動詞に偏る
    • 無限界動詞は、全て大規模・持続的の用法になる
      • しかるべき方にもしもかゝにそめけむよ(一緒になってしまって)/また言ひそめては(返歌をし始めたら)
    • すなわち多くが大規模で抽象的な事態の始発であり、現代語のVハジメルが短時間の具体的な動作の始発(料理を作り始める)であることに比べると、対照的である*1

雑記

  • 「大学生のためのレポート講座」にキレてる大人たちが真面目すぎるのであって、そらお前適当やろみたいな課題の出し方、学生から聞く限りではめちゃくちゃある

*1:現代語では「3歳の頃、ピアノを習い始めた」「~頃から太り始めた」などは稀とある(p.86)が、これは「始める」側の問題というよりは資料とか発話場の制約によるのではないか。今の人はいちいち歴史を語らないし

小島聡子(1999.4)複合動詞後項「行く」の変遷

小島聡子(1999.4)「複合動詞後項「行く」の変遷」『国語と国文学』76(4)

要点

  • Vユクの意味変化について考える
    • ユクは空間の移動もしくは時間の移動を表すが、本動詞はほぼ空間の移動を表す
  • 調査、
    • 中古は時代が下るに従って、空間移動の意味で用いられることが少なくなり、時間的な過程の進行や継続を表すようになる
    • が、中世にはまた再び空間移動を表す用例が増えてくる
  • これは用例数の変化というより、何か質的な違いの現れであろうと考えられるので、前接動詞に注目すると、
    • 中古・中世共通のものに、
      • ア 移動とは関係ない並列(おもひゆく)
      • イ 移動の手段・様態(あゆみゆく、とびゆく)
      • ウ 動詞そのものが空間移動の意を含む(うつりゆく、かへりゆく)
    • 共通しないものを見ると、
      • アは中古>中世であり、アよりも補助的なイは中古<中世
      • 中世特有のものには(サ)ス・(ラ)ルが前接するものも多く、これもユクの補助動詞性の強まりの現れ
    • 中世の非空間的なユクは一部の資料に限定され、しかも通常の使用とは言い難い(すなわち、非空間的なユクは既に日常的表現ではなくなっていた)
    • なお、Vモテユクも全体として減少傾向にあり、意味もユク相当になって衰退してゆく
  • テユクについて、
    • 中古のテユクには空間移動の例しかなく、Vユクと意味は被らないが、中世のユクが空間の移動へと偏ることでテユクとも意味が近くなる
    • これがVイク>テユクの交替の契機となったか?

雑記

  • ちょっとさぼってしまった

鈴木裕史(1999.3)接続助詞「つつ」の素描:鎌倉時代末期成立『とはずがたり』の場合

鈴木裕史(1999.3)「接続助詞「つつ」の素描:鎌倉時代末期成立『とはずがたり』の場合」『文教大学国文』28

要点

  • 中世におけるツツについて考える

hjl.hatenablog.com

  • まず、ツツの本義については反復・継続説と同時並存説があるが、前者を採る
    • 「前件動作の反復される期間内に後件動作が並存する」のだが、「並存」の機能はあくまでも副次的なものである(空寝をしつつ、日高く大殿籠り起きたり・初音)
    • 並存を副次的と考えた上で、テとの比較を行いたい
  • とはずがたりのツツには、
    • 古来の意味を保持する例があり、
    • 中世語法である「テと同意のツツ」も認められる
      • 並存(ていて/て):水も凍り閉ぢつつ物悲しきに、/月の入るさの山横雲白みつつ、東の山はほのぼの明くるほどなり
      • 非並存(して、それから):(後深草院が)引き開けつつ、いと馴れ顔に入りおはしまして、
      • 仮定条件:御所の御使など見合ひつつ(=たら)、『ころとも知らで』〔と〕やおぼしめされむ、
    • なお、竹むきが記には「伸びつつゆく」のような複合動詞内のツツもある

雑記

  • 6月中旬にって言われてた本、そういえば届いてないな

岩田幸昌(1990.2)源氏物語の接続助詞「つつ」をめぐって

岩田幸昌(1990.2)「源氏物語の接続助詞「つつ」をめぐって」『金沢大学国語国文』15

要点

  • ツツの意味には以下の2点が認められる
    • 2つの状態が同時にあること
    • 動作の反復・継続
    • すなわち、ツツの意味は、「動作の、反復・継続・複数を表しながら、その動作が、後句の表すことがらと同時に行われることを示す」とまとめられる
  • ツツ句がどのような語にかかるのかという観点からは、以下の4種に分類できる
    • A 動詞でまとまる句で、主語は同じ
    • B 形容詞・形容動詞・名詞ナリでまとまる句で、主語は同じ
      • 息も絶えつゝ、聞えまほしげなりる事はありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、(桐壺)
      • 現代語のツツが動詞句にかかるのとは異なる
    • C 主語が異なる
      • (源氏は)大殿には、絶間置きつゝ、(葵は)うらめしくのみ思ひ聞え給へり。(夕顔)
      • 此島「源氏物語の助詞」はこのツツを終助詞的に捉えるが、承服し難い
    • D ツツ留
  • すなわち、かかり先には特定の品詞を要求せず、前件と後件の同時性を示すだけで、「ことさらに意味をつけ加えない」
    • ここから、時間的に戦後関係にあるもの、因果関係にあるもの、同時性、動詞の修飾などの意味を負い得るが、これはテに極めて近い

雑記

  • 後期は前期みたいになあなあでやってちゃいけないんだろうなあと思うけど、もう体力ないですよね

信太知子(1998.3)「である」から「ぢゃ」へ:断定の助動詞の分離型と融合型

信太知子(1998.3)「「である」から「ぢゃ」へ:断定の助動詞の分離型と融合型」『神女大国文』9

要点

  • ヂャの成立にはニアリ>ニテアリ>デアル>デア>ヂャが想定されているが、文献にはデアル系(分離型)はそれほど多く見られない
    • ヂャは15C後半、デアルは12Cで、300年の隔たりがあることについても検討すべき
  • 調査、以下の分類に基づき、次の3点を考える
    • 1 融合型と分離型
    • 2 常体と敬体
    • 3 助動詞下接と非下接

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p.133

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p.134

  • まず調査結果から、
    • すでに中古にニアリ>ニテアリへの交替の兆しが見られ、
    • 室町後半にはほぼ交替した
  • 1 融合型と分離型について、
    • 一般に、終止用法で分離型になるのは敬体をとる場合(ニ侍リ)で基本的にはナリだが、ニテアリの場合は常体の例もかなり見られる
    • 否定の場合は分離型が優勢である
  • 2 常体と敬体について、
    • 断定が敬意を伴おうとすると、必然的に分離型にせざるを得ないが、敬体の比率そのものも、時代が下がるにつれて高くなる
    • デアルの例が少ないのも、そもそも無敬語の例が少ないことによるのではないか
  • 3 助動詞下接と非下接について、
    • 常体の分離型は助動詞下接かつ係助詞挿入の場合が多く、必然的に、デアル(分離・常体・直接)は多くない
  • デアルの例の少なさは、以下のように説明できる
    • まず、融合型のナリが優勢であったこと
    • それと同時に、終止用法でも分離型になりうるのは敬体の場合で、
    • 常体で分離型になるのは助動詞下接型であったから、
    • 助動詞非下接・終止・分離のデアルが見られにくかった
  • 移行については以下のように考える
    • 終止・連体形以外・敬体ではニアリ>ニテアリの移行が進んでいるのに、終止・連体形ではナリがいつまでも優勢で、ニテアリに移行しないのは不均衡であり、
    • ニアリ衰退後、その一体性を保とうとして、終止・連体形もデアルに移行したと考える
    • その際、終止型は融合しやすいので、デアルは時をおかずにデア・ヂャに変化したのではないか

雑記

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……

上野隆久(2005.6)江戸後期から明治期における「~からのコトだ」と「~からだ」:『春色英対暖語』と『三四郎』を資料として

上野隆久(2005.6)「江戸後期から明治期における「~からのコトだ」と「~からだ」:『春色英対暖語』と『三四郎』を資料として」『日本近代語研究4』ひつじ書房

要点

  • 接続助詞カラには、後件で原因・理由を述べ、「からだ」で締めくくる用法があるが、江戸語にはなく、「からの名詞だ」という型がある
    • 一膳も売りたいからの事さ(金秤目)
  • 英対暖語と三四郎を比較すると、*1
    • 英対暖語にはカラダはなく、カラノコトダがあり、
    • 三四郎にはカラノコトダは僅少で、カラダがカラ全体の5%程度見られる
  • 以下の過程が想定される
    • 1 事柄の起点を表す格助詞カラ
    • 2 ~からの(一般名詞)だ
    • 3 一般名詞が形式名詞コトに変わる
    • 4 形式名詞が省略される*2

雑記

  • 大学にひつじのこれないから揃えておきたいけど、4万は高すぎ、買えまへん

*1:もうちょっと全体量が多ければ、なんか言えそう

*2:ほんとかな

森勇太(2018.5)近世・近代における授受補助動詞表現の運用と東西差:申し出表現を中心に

森勇太(2018.5)「近世・近代における授受補助動詞表現の運用と東西差:申し出表現を中心に」小林隆(編)『コミュニケーションの方言学』ひつじ書房

要点

  • 申し出表現の地理的なバリエーションを考える
    • (その荷物は私が)持たしてもらいます(GAJ320・京都府左京区
    • 申し出表現における与益の使用が近世以前には可能で、諸方言でも可能なものがある
      • 持ってあげます・持ってあげましょう類が九州・中国・四国・東関東・東北に分布、関東南部にお持ちいたしましょう類、近畿圏に持たしてもらいます類(沖2009)
  • 調査、
    • 上方・関西は与益による上位者への申し出は若干低下するものの、近代に至っても見られる一方で、江戸・東京は近代に入ると見られなくなり、
    • 行為拘束の発話におけるサセテモラウ・サセテイタダクを東西比較すると、近代以降の関西では定着が見えるが、東京では定着していない
  • これは、待遇表現の東西差(西日本で敬語使用多、東日本で少)と並行的である
    • 否定疑問形に由来する行為指示表現や、依頼の際の恐縮なども同様
    • 江戸・東京ではオ型謙譲語が一般的で、迂言的形式としてサセテイタダクを導入した(それが現代に至る)が、
    • 上方・関西では、サセテモラウ・テアゲルが「親しみのある表現」として保持されたと考える(cf.矢島2016の「共有指向性/説明・打診型」と「一方向性/主張・提示型」)

雑記

  • 他にも学んではいるのに、一日一本に追われるの精神的にあんまりよくないかもしれない